生かされている自分の使命に向き合う事

おはようございます。
人と組織をやる気にして成果を出すを支援するファシリテーターの俵です。
13日ぶりの日記の更新となります。
色々とバタバタしていてブログを更新することが出来ませんでした。
先週の月曜日に義父が亡くなり、そのお通夜や告別式への出席などで
なかなかブログを書こうという気にならず、今日を迎えています。
義父の死に直面して改めて思った事は、人はいつか死んでしまうという事と
生かされているんだという事です。人に寿命があるのはその生かされている間
自分が生まれてきた意味について考え続け、その役割に気づきその役割を果たすことが
求められているんだという事です。亡くなって義父がどんな役割を果たしてきたのかという
事を弔問をしてくださった方々から聞くたびにたくさんの役割を様々な場面で果たしてきた
んだと感じました。私は人生で起きる事にはすべて意味があり、その意味についてしっか
りと考えていく事が大切だと思っています。そういう意味でも今回義父がなくなったことが
自分にとってどういう意味があったのか、どういうメッセージを受け取るべきなのかという
事について考えてみました。
今回の事からたくさんのメッセージをもらったと思っていますが、ここでは1つだけ
書いていきたいと思います。
それは自分がどんなことをやるために生まれてきたのかという事に対して真摯に向かい
合うという事です。今私は人と組織を対話を通じて活性化し、やる気になって幸せになっ
てもらう支援を外部支援者として関わっています。この仕事を始めて8年になりますが、
これは私の天職だと思っています。営業する力がないのでたくさんの企業に知ってもらえ
る機会がない事は残念ですが、一人一人と向き合い、その人の中にある大切にしている
ものに触れて、そこを伸ばしても会えるようなサポートをしています。
対話を続けていくうちに表情が明るくなり、言葉に力がはいっていくという姿を見るとこの
仕事をやっていてよかったと感じます。